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隧道道

隧道をはじめ、趣のあるものをお知らせします。

旧相模川橋脚(5)

sagamigawa 112

さて今回はオマケ編である。

先に見えるのは旧相模川橋脚付近の、東海道線中島川ガードである。

高さ制限2.0m。 幅もほぼ同じサイズであろう。

でも、狭いからって・・・


sagamigawa 113

こら~・・・ 削るな~・・・ モノは大切にしよう。


sagamigawa 114

レンガが泣いとるぞ~

(完)


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  1. 2011/05/31(火) 12:40:37|
  2. 旧相模川橋脚
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旧相模川橋脚(4)

sagamigawa 108

さて、「旧相模川橋脚」と言えば、前回までにご紹介した稲毛三郎重成が作成したものの他に、もう一つある。

関東大震災で崩れ落ちてしまった、東海道本線の馬入川の旧橋脚である。

上の写真は現在の馬入川橋梁であるが、この橋のほぼ真下にその遺構がある。


sagamigawa 109

川岸に降りて撮影してみた。

赤い矢印や丸で囲ったものが旧橋脚なのだ。


sagamigawa 110

川岸にもあったので、じっくり観察してみた。


sagamigawa 111

すると、レンガの周りにコンクリートが打設され、基礎をなしているように見えた。

この点、当方は素人なので、友人で土木専門家のN先生に聞いてみた。

「明治から大正にかけて、レンガは大量に生産され、構造物の主体は東京駅を見れば分かるようにレンガが主流であった。また、生コンは普及し始めたばかりでこの旧橋脚はレンガとコンクリートのハイブリッドであると思われる。なお、当時は耐震性という概念がほとんど存在しておらず、このような構造では関東大震災の激しい揺れに耐えられなかったのかもしれない。」

なぁるほど、N先生、ありがとうございました。

関東大震災によって、ニョキニョキ生え出てきた鎌倉時代の橋脚もあれば、同時に崩れ落ちその姿を消滅させた橋脚もある・・・。 な~んか、「趣」を感じますなぁ・・・。

  1. 2011/05/22(日) 13:45:20|
  2. 旧相模川橋脚
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旧相模川橋脚(3)

sagamigawa 106

さて、レプリカであるが忠実に再現された橋杭をご覧いただきましょう。

ニョキニョキ生え出た橋杭は合計10本。

今現在はレプリカの真下2m65cmで眠っている。


sagamigawa 105

この現在地から見た橋杭レプリカを頭の中に留めていただき、下の絵をご覧ください。


sagamigawa 107

当時の橋を上から見た推定図である。 橋の中で丸く見えるのが橋杭である。

推定長さ40m、幅9mの堂々たる橋だそうな。

で・・・

頼朝の話である。

この橋は頼朝の重臣稲毛三郎重成が亡き妻のため、1198年に建築したそうな。 そしてその年の12月27日、頼朝はこの橋の落成式に訪れ、翌年の1月13日に死亡するのだ。 頼朝の死因は諸説があって今だ確定はされていないが、有力な説に「落馬説」がある。 落成式の際、この橋の上で落馬したというのだ。 馬術に長けた頼朝がなぜ落馬したのか。 勝手ながら、当方が最もオモシロイと思う説を紹介したい。 橋を通行中、馬と頼朝がとんでもないものを目撃した(平家や義経の亡霊というのが最もオモシロイ)。 馬は驚愕しさお立ちになり、頼朝を道連れに相模川に真っ逆さまに落ちてしまった。 頼朝は一命を取りとめたものの、たらふく川の水を飲んだことが原因で病に倒れ、約2週間後、そのままあの世に。 いかがでしょうか。 なお、相模川の河口付近は、「馬入川」と名を変えるのです。 この事件によって命名されたとしたら、ホント、「趣」がありますよねぇ~・・・。





  1. 2011/05/18(水) 13:55:54|
  2. 旧相模川橋脚
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旧相模川橋脚(2)

sagamigawa 102

大正15(1926)年、このニョキニョキは早速国の指定史跡となる。

上の写真は当時の保存作業の様子である。

今現在はどーなっているのか。


sagamigawa 103

こーなっている。

国道1号線のすぐ近くで、人知れず(知っている人は知っているが)、存在している。


sagamigawa 104

しかし、現在の橋杭は保存のためレプリカなのである。 まぁ~仕方ないことであろう。 鎌倉時代の橋杭を露出しておくワケにはいかないか・・・。


  1. 2011/05/15(日) 21:34:49|
  2. 旧相模川橋脚
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旧相模川橋脚(1)

sagamigawa 101

大正12(1923)年9月1日、相模湾沖でM7.9の大地震が発生した。関東大震災である。

この地震によって、神奈川県茅ヶ崎市内の水田からニョキニョキと橋杭が出現したのだそうな!

それが上の写真である。

今で言う液状化現象である。

そしてこの橋杭、なんと源頼朝の重臣が建築した橋の名残りで、頼朝の死亡に関係している可能性があるらしい。

何も無いところから、今から900年も前の橋杭がニョキニョキと現れ、しかも頼朝の死因に関連している。

「趣」を感じる・・・感じますよね!?

今回は、トンネルはお休みして、この旧相模川橋梁について簡単にご紹介いたします。

(「今から900年も前の橋杭」は、今から800年も前の橋杭」の間違いでした。訂正いたします。5/18 doodoongoo)


  1. 2011/05/13(金) 13:25:32|
  2. 旧相模川橋脚
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極楽洞

gokuraku 1001

神奈川県の藤沢と鎌倉を結ぶ江ノ島電鉄(通称江ノ電)。

江ノ電に一つだけ存在するトンネルの坑門は、極楽洞と名付けられている。上の写真に記載の通り、極楽洞は明治40年に建設された煉瓦作りの坑門であり、当時の原形をとどめ、平成22年11月24日に、鎌倉市の景観重要建築物等に指定されている。

場所は、“こちら”。

そしてこの極楽洞、要石を2つ備えているのである。


gokuraku 1002

近くの橋の上から極楽洞を撮影。


gokuraku 1003

さらにアップしてみる。


gokuraku 1004

さらに、アップ! アップ!!

おぉ!

2つの要石が、確かに存在した。


gokuraku 1005

なお、上の写真は反対側の坑門であるが、こちらの坑門は、「千歳洞」と名付けられている。

(完)


  1. 2011/05/01(日) 18:15:25|
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